STAFF BLOGブログ

ガイドの終わりに

軍艦島デジタルミュージアムブログ

皆さん、段々と春めいて桜の

開花の便りも届いて来てます

まだまだ寒い日もありますので

体調管理には気をつけましょう

ナビゲーター木下です。

 

さて今回は、

ミュージアムのガイドが終わった後に、

良く質問されることがあります。

ライフラインは?島内の建物の数は?

等々…

特に多いのが、「鉱員の数」を聞かれます。

 

そこでちょっと調べて見ました。

「高島炭鉱史から引用」すると

IMG_5676
戦前の昭和19年には、2258名

 

戦後昭和21年〜30年迄の10年間で、

多かったのが

昭和22年の、1927名…

 

私が生まれた

昭和28年には、1531名

 

そして人口数が最大だった

昭和35年には 1326名でした

 

その後、昭和39年には、

事故があり、リストラもあり

前年の昭和38年に1038名いた鉱員数が なんと502名に。

 

昭和40年には、

307名迄に減少しました


昭和48年には、坑内の機械化も

進んんで… 474名になっていました。

 

それでも、

色々調べて見ると鉱員数が減少していても

年間採炭量は、平均25万トンを

割ることなく石炭を掘り出していたことに驚きました。

端島炭鉱が日本のエネルギーを

支えてきたことに、改めて

鉱員さん達に、敬意を表したいと思います。

 

次回のブログをお楽しみに…

ナビゲーター木下でした。