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三池炭鉱『続編」

軍艦島デジタルミュージアムブログ

皆さん、こんにちは

元気いっぱい

軍艦島デジタルミュージアムスタッフ 山田です



10月ですが、日中は暑い日が続きます

今日の長崎は雨ですが・・・・

朝と夜は寒い日が続きます

 

寒暖差が激しく体調も崩しやすい気候となっていますので、

気を付けて下さい

 

前回は、三池炭鉱の歴史のお話をいたしましたが

今回は2015年7月5日軍艦島と同じく

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」

登録された三池炭鉱 「宮原抗」・「万田抗」をご紹介します。


「宮原抗」

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(グーグルマップ引用)

三池炭鉱ストーリー&サイトによると

1889年(明治22年)三池炭鉱の坑内排水を主な目的として

初めて開削を行ったことからはじまったそうです

1898年(明治31年)宮原抗第1竪抗

1901年(明治34年)宮原抗第2竪抗(人員の昇降、排気)

当時世界でも最新のデビーポンプ(排水用ポンプ)を導入して、

深さ160mから坑内水を汲み上げて、坑内排水を行ったそうです。

それにより約40万トン、50万トンの石炭を採炭

第2竪抗の櫓高さ22m、イギリスから輸入された鋼材を使用。

二基のケージ(昇降機)を備えていて、

はじめは蒸気力で巻揚機を操作 → 電動機モーターと

変わったそうです

 

「万田抗」

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(グーグルマップ引用)

1897年(明治30年)に開発

1902年(明治35年)万田抗第1竪抗

1908年(明治41年)万田抗第2竪抗

1945年まで約1600万トン以上を採炭!!

炭坑地域に住む人々は各地から集まり

大牟田を含めた地域の人口約1万人から30万人

超えるほどに活気づきました。

 

「宮原抗」・「万田坑」は

1997年(平成9年)三池炭鉱閉山後から

2000年(平成12年)まで

坑内点検のため稼働していたそうです


どちらの建物も存在感があり、

三池炭鉱を支えていた場所なんですね

調べれば調べるほど日本の炭坑も奥が深いです

これからも日本の炭鉱をご紹介していきます

 

次回もお楽しみに!!

ミュージアムスタッフ山田でした