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明治日本の産業革命遺産 〜長崎編part6〜

軍艦島デジタルミュージアムブログ

みなさんこんにちは

軍艦島デジタルミュージアムスタッフMMです

 

沖縄はすでに梅雨明けしたとのことですが、

長崎では昨晩、落雷と豪雨で寝苦しい夜となりました。

こちらの梅雨明けはまだまだ先のようですね

 

でも、そんな雨の日に見る軍艦島は、

どこか荘厳で、威厳があり、

晴れの日とは全く違った姿を見せてくれます

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軍艦島デジタルミュージアムのFB(フェイスブック)ページでは、毎日、

その日の軍艦島の表情を公開しております

ぜひ覗いてみてくださいね

クリック 👉 https://www.facebook.com/gunkanjima.digitalmuseum/?fref=ts

 

 

それではここから、MMブログ恒例の?

「明治日本の産業革命遺産」シリーズ、長崎編をお送りします

長崎編6回目の今日は、

「高島炭坑(北渓井坑跡)」です

北渓井坑

 

高島地区は、長崎港の南西約14.5Kmの洋上に浮かぶ

「高島」「端島(軍艦島)」「中ノ島」「飛島」つの島からなっていて、

現在は、この高島だけが、人が暮らす有人島となっているんです

 

この高島で石炭が発見されたのは、1695年(元禄8年)

1710年(宝永7年)頃から事業化されます。

 

その後、開港に伴い

長崎へ寄港する外国蒸気船の燃料として石炭需要が高まり

 

1868年(慶応4年)

世界遺産「旧グラーバー住宅」の持ち主としても紹介した

貿易商トーマス・ブレーク・グラバー*前回MMブログ参照

が佐賀藩との合弁により、海洋炭坑開発に乗り出します

 

これが、本格的な「高島炭坑」の始まりとなるのです

 

中でも、その翌年開坑した「北渓井坑」は、

ヨーロッパから最新の技術と機械、資本を導入し作られた

蒸気機関を動力とする日本初の洋式竪坑で

2015年「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録されました

 

現在も周辺には蒸気機関に関連する遺構が地中に存在しているそうですよ

 

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      (*高島で採れた石炭:ミュージアム2Fにて展示)

 

この「北渓井坑」

高さは約43m、1日に300tを出炭したと言われています

しかし1876年(明治9年)、坑道に地下水が浸入し廃坑

 

一方、高島炭坑は、

1881年(明治14年)

三菱社の岩崎彌太郎氏に譲渡され、三菱経営による操業が始まります

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  トーマス・ブレーク・グラバー   /   岩崎彌太郎

 

”三菱発祥の地” ”三菱のドル箱” として、

日本の経済発展のために大きく貢献してきました

 

高島炭坑の採炭技術は、日本の炭坑の近代化の先駆けとなり、

後に、端島炭坑(軍艦島)をはじめ、筑豊や北海道にも伝わっていったんですよ

 

しかしその後、国の石炭政策の変更や坑内の粉塵爆発の影響等により、

1986年(昭和61年)11月27日

高島炭坑は閉山をむかえます

 

今年高島は、炭坑閉山から年を迎えます。

 

炭坑の島「軍艦島」をご案内している我がミュージアムでも、

同じく炭坑の島として日本の高度成長を支えた「高島」について、

今年、皆さんに何かお伝えできることはないかと、只今計画中です

 

ぜひお楽しみに

 

それでは、本日の端島(軍艦島)のお写真でお別れを〜

ミュージアムスタッフMMでした

 

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