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明治日本の産業革命遺産 〜長崎編part5〜

軍艦島デジタルミュージアムブログ

みなさんこんにちは

軍艦島デジタルミュージアムスタッフMMです

 

今日の長崎は一日雨模様

もうすぐ梅雨に突入でしょうか???

 

こんな雨の続く時期、長崎の街でよく目にするのがコチラ

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「アジサイ」です

アジサイは、長崎市の花にも指定されているんですよ

 

学名「ハイドランゼア・オタクサ

鎖国時代、長崎出島にオランダ商館付の医師シーボルトが命名しました。

 

シーボルトは長崎で楠本瀧(お滝さん)と結婚し子供をもうけますが、

悲運なことに、のちに国外追放となってしまいます。

 

シーボルトは最愛の人「お滝さん」を想い、

大好きな花にその名前を付け、ヨーロッパに広めたそうです

私もそんな風に愛されたい

 

と、夢見がちなMMのお話はここまでにして・・・

 

今回のブログはこちら

明治日本の産業革命遺産のひとつ、「旧グラバー住宅」です

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貿易商で開港後の長崎でグラバー商会を設立した、

英国スコットランド出身「トーマス・ブレーク・グラバー」が、

1863年に住居兼オフィスとして建設した

日本に現存する最古の木造洋風建築です

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母屋と附属屋が、国の重要文化材にも指定されているんですよ

 

このグラバーが長崎にやって来たのは、弱冠21歳の時

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やがて、日本の造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓していきます

 

長崎に関係するものとしては、

1865年、長崎市の大浦海岸に蒸気機関車を試走させたり、

1868年には「小菅修船場跡」の開発や「高島炭坑」の開発に協力するなどし、

日本の近代化に大きく貢献しました

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もちろんそれだけでなく、

伊藤博文をはじめ、多くの若者の海外留学の橋渡しをしたりなど、

彼の働きは、維新動乱前後に

日本の指導者となる人々の輩出にも繋がったんですよ

 

 

その後、1908年、日本政府はそんなグラバーに

「勲二等旭日重光章」を与え、その功績を讃えたそうです

 

グラバーは1897年東京に転居し三菱の顧問として余生を送ります

そして1911年、73歳の生涯を閉じたグラバー。

彼は現在、長崎の国際墓地で、妻ツルと息子夫婦と並び眠っています。

 

遠くスコットランドから訪れた若者がこの長崎に住み、

自身の事業もさることながら、

日本と日本の将来を想い、産業や歴史に多大な影響をもたらした人物。

 

わが街長崎に、

グラバーのように日本の歴史に影響をもたらした人物がいたことを思うと、

なんだか誇らしく思います

 

長崎の歴史を、もっと知りたくなったMMでした

 

次回のブログでは、グラバーも携わった

「高島炭坑(北渓井坑跡)」

についてご紹介いたしますね

 

 

それでは最後に、雨の街長崎の風景でお別れを。

MMが軍艦島の次に好きな場所です

それではまた、次回ブログでお会いしましょう〜

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