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長崎に来た名医。

軍艦島デジタルミュージアムブログ

みなさん、こんにちは

軍艦島デジタルミュージアムスタッフ 佐藤です

 

GWも残すところ、今日も含め

あと2日となりました

ミュージアムも沢山のお客様に

ご来館していただいて、館内は賑やかですよ

 

さてさて、話は変わって・・・

長崎の歴史に関して、

「まだ凄い人がいるはず」と

探していたら大事な人物を発見しました

どうしてこの人を忘れていたのでしょう・・・

 

その人物は、

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトです。

名前を知っている人も、多いのではないでしょうか。

 

シーボルト

ウィキペディより引用

シーボルトはドイツの医者の家系に生まれました。

彼も医者になるために

大学で医学を学んでいましたが

医学以外に、民族学なども幅広く学んでいました

 

1823年8月11日

世界で貿易をしていたオランダの

「陸軍軍医」として長崎へ来ました。

医者としてだけでなく、

日本を調査する任務を任されていたそうです。

 

当時、長崎は海外から来た外国人を

出島の外へ出すことを禁止していました。

しかし、シーボルトは特例で

長崎の街へ出て、病人の診察が許されていました。

 出島

それほど、シーボルトは名医だったんですね

 

長崎に来た翌年に、

長崎にある鳴滝という土地に住み

そこで鳴滝塾を開き

日本各地から集まった医者に医学を教えたと言われています。

 

西洋の医学を名医から学べると聞いたら、

同業者としては参加したくなりますよね

 

1826年には、

オランダの商館長の江戸参府に同行し、

日本の事を調べたそうです。

 

しかし

シーボルトが、調査をして得た資料の中に

日本から持ち出しが禁止されている物が見つかりました。

これが今に伝わる「シーボルト事件」です。

取り調べのあと、シーボルトは国外追放となります。

 スクリーンショット 2016-05-03 20.35.18

シーボルトとしては、

純粋に異国の文化を知りたかったのだと思いますが、

国家機密に匹敵する資料となると

日本も見過ごす事は出来なかったのです

 

日本を去って30年後に、

国外追放が解かれたあとシーボルトは

また鳴滝に3年間住み、日本の研究をしたそうです。

 

彼にとって、

日本そして長崎は、

大切な国だったのかもしれませんね

 

今回のブログはどうでしたか❓

現在は、歴史に名を残した人物を紹介していますが、

いずれは、また違ったブログを書こうと思いますので、

お楽しみに