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神の浦家のルーツを探れ

軍艦島デジタルミュージアムブログ

こんにちは

軍艦島デジタルミュージアムのトシです。

今回は長崎の外海町にある神の浦について

お話したいと思います。

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神の浦の近くには昨年映画沈黙(サイレント)で注目を集めた

遠藤周作記念館があり

夕日が海に溶ける美しい町としても有名です。

神の浦港からは池島に向かうフェリーが出ていて

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池島は九州最後の炭鉱の島です。

10月から当社でも軍艦島・池島上陸ツアーを始めました。

 

私の生まれ故郷は福岡県の八女市です。

毎年高校の同窓会が八女市であっています。

毎年集まる場所は「オアシス」というお店です。

そのオアシスを経営されている同級生の嫁ぎ先が

「神之浦」という姓だったということです。

八女市では珍しい姓なので、そのルーツを

親戚みんなで探ろうという話になったそうです。

その結果、長崎外海町の神の浦にたどり着いたそうです。

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※以下の記述は神の浦家から頂いた資料と

私の私見と織り交ぜてお話しさせて頂きます。

 

永和年間(1375年~1379年)に

大串小次郎俊長この地に城を築き、

後に地名を取って神之浦と姓を改めたのが

始まりとされています。

神之浦氏は地域の土豪として割処したが、

戦国時代に大村氏の支配下に入った。

その後、約400年の歴史を経て、

寛政9年11月28日(1798年1月14日)

大村藩から五島列島へキリシタンが移住、

外海神之浦を中経して五島に渡る、

キリシタン3000人が五島列島に移住したそうです。

 

当時の大村藩は財政が苦しく、その対策として人口制限を行い、

極端な産児制限(間引き)が行われていた。

 

当時の福江藩主の五島氏は土地開拓として

人手が必要であったため、

大村藩との間で「千人貰い、千人養い人」の

要請が順調に進み、

大勢のキリシタンが五島列島に移り住むことになった。

大村氏の供給,五島氏の需要がまさにマッチしたようです。

五島氏の要請に応えてキリシタンでなくても、

五島に渡った人もあると聞きます。

 

外海町、光照寺裏には上浦氏が築いた神之浦城跡が存在します。

 

また、光照寺神之浦家の菩薩寺として、

第11代神の浦正通(まさみち)、

正通の三男長通、孫の高茂、3基の墓碑が残り、

自然石の2基は江戸前期の形式をよく伝えています。

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ここで、五島列島にキリシタンが拡がった経緯を

うかがい知ることが出来ますね。

 

隠れキリシタンの存在する地域にはある特徴があって、

大きい特徴はいずれも貧しい漁村であるということです。

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そこで、お寺の寺請制度 檀家との関係を少し。

 

当時、民衆はどこかのお寺の檀家にならなければならず、

寺請制度によって戸籍を管理したり、

お寺が役所のような役割を果たしていました。

 

年貢の徴収漏れを防ぐ目的もあったため、

藩とお寺の関係性は非常に深いものでした。

そしてもう一つの目的はキリスト教徒を発見するためでした。

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(寺請制度の及ばぬほどの寒村、

田畑中心の農民よりも年貢の管理が難しかった・・

すみませんこの部分はあくまでも私の私見です。)

いずれにせよ、まだまだ勉強していかないと

はっきり説明出来ないことだらけです。

 

「神の浦家のルーツを探れ」ブログの第一部です。

次のブログは「神の浦家ルーツを探れ第二部」

を考えております。

 

 尚、このブログを作るにあたり大変ご協力を頂いた

神の浦寛様小夜子様勲様および神の浦家一同の皆様に

心より感謝いたします。

 

ありがとうございました。

これからも神の浦を世界に発信していきましょう。

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お知らせ 神の浦小学校は2016年(平成28年)に3月に閉校し、

佐世保市立宇久小学校に統合されました。

 

それではこのへんで次のブログでお会いしましょう。

See You  Soon

軍艦島デジタルミュージアムのトシでした。